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坂本プロデューサーの『ようこそ、横浜マラソンへ』
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坂本プロデューサーの『ようこそ、横浜マラソンへ!』
坂本プロデューサー

いよいよ本番が近付いてきました。大会プロデューサー坂本雄次による連載がはじまりました。
各回のテーマに合わせて、本人の直筆の書と一緒にお送りします。

>Vol.1 >Vol.3 >Vol.4 >Vol.5

Vol.2 横浜の今と昔

幕末のころ横浜は戸数100戸に満たない小さな半農半漁で生計を立てる小さな村でした。

時代はおよそ300年続いていた徳川政権が幕末を迎えた頃。1853年、浦賀沖にペリー提督率いるアメリカ軍艦が来航、時の政府に開港を迫りました。これが黒船来航です。当時、徳川家による独裁政治を展開していた国内では、黒船の来航を契機に新しい政府樹立を目指す活動が活発に展開されました。いわゆる“幕末の動乱期”です。幕府は開港への対応(外交)と内政の安定化(討幕派の鎮圧)という二つの大きな対応を余儀なくされ苦悩しました。

1858年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結し、翌1859年横浜が国際港として開港することになりました。それから8年、勤王派と幕府との覇権争いの結果、1867年に徳川幕府は大政(行政の実権)を奉還し明治政府が誕生することになったのです。

徳川時代、鎖国政策を敷いていた当時の外国との交易は長崎にのみ限定されていたのですが、開国を契機に国際港として近代日本を築く海外文化・文物の受け入れ口が横浜となり、現在の礎を築く歩みがはじまったのです。

横浜マラソンご参加の皆さんには、マラソンで走る横浜は、このような歴史的背景のもとに成り立っていることを、是非知っておいて欲しいと思います。

横浜マラソン2016のコースは、かつて造船所や港エリアだったみなとみらい大橋からスタートします。横浜赤レンガ倉庫を左手に見ながら進むと、開港当時の面影を今に伝える「横浜三塔」や「横浜スタジアム」に出会います。異文化の象徴となっている「中華街」、「開港当時運上所跡」などを巡ってつきあたるのは、明治・大正の香りを残す「ホテルニューグランド」。その先の本牧エリアは、昔の横浜の面影の残る懐かしい佇まいです。

中間地点兼折り返しの横浜南部市場は文字通り横浜市民の胃袋を支えてきました。その後は現代社会を象徴する首都高速道路上から港湾の風景や三溪園、横浜ベイブリッジ、横浜ランドマークタワーを遠望しながら、D突堤で港の象徴であるコンテナ群を目の当たりにします。再び山下公園周辺のイチョウ並木を抜けてみなとみらい地区の臨港パークのフィニッシュ地点となります。

横浜マラソンのコースは、このように「歴史」と「現代」、「未来」の姿を42.195kmでめぐる夢みたいなコースが織りなされているのです。

近代日本の早暁期に開かれた横浜港は、日本の大きな転換を「港」という「窓」を通して見つめながら、物流拠点として、さらには次代に繋ぐ新しい都市機能として、日進月歩を今日も続けています。

大会当日は、こんな横浜の今昔をあなたの脚で、肌で、心で、感じながら走り抜けてくれることを切に期待しています。 

 
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